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HANABI!! HANABI!!


マカオ国際花火コンテスト
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世界三大国際花火競技会のひとつで2011年現在23回の歴史があります。
国際花火競技会のほとんどは音楽に合わせて花火を打ち上げ演出の素晴らしさを競います。選曲から花火の選定、打ち上げのタイミングなど様々な点が考慮され優勝が決定されます。マカオは元々ポルトガルの植民地でしたが現在は中国に返還されました。中国本土も有名ですがマカオでも古くから火薬産業は有名で1880年に爆竹工場が建設され1910年には七つの工場がありました。工場のほぼ全てはタイパ島にありましたが60年代初等には他のビジネスが盛んになり火薬産業は廃れてなくなりました。1543年ポルトガルの船が難破して種子島に火縄銃と黒色火薬をもたらしますが、この時もマカオ経由の黒船でした。

Correfoc ( コレフォック )
スペインのカタルーニャ地方に伝わる「火まつり」で大きな祭りの最終日に行なわれます。地域で多少の差はありますが花火を使って悪魔を祓います。花火も様々な形で多用され日本の伝統花火とは一味違った趣が味わえます。


バリヤージュ ( Balayage )
90年代にグループFのクリストフ氏が考案した演出方法で当初は観覧車に花火を仕掛けて弧を描くように発射したが、その後、筒を半円に展開させ同じようなイメージで円を表現した。

パッツィ家
パッツィ家の中庭の円柱にはスコッピオ・デル・カッロをを暗示させる炎を噴き出す壷の彫刻がある。

火薬塔 ( Prašná brána ) 
チェコの首都、プラハにある搭で15世紀の終わりごろに市街の入り口として建てられました。17世紀に火薬置き場として使用され、それ以来 「 火薬搭 」 と呼ばれています。

火打ち石
パッツォ・ディ・ラニエーリは十字軍として1088年にエルサレムに入場した。この時、ゴルゴダの丘にある教会の祭壇から数個の火打ち石をフィレンツェに持ち帰りスコッピオ・デル・カッロで使用された。

フォンテーヌ ( Fontaine )
両サイドから押し出したような形で花火を放ち噴水をイメージした演出。グループFのクリストフ氏がマルセイユで最初に用いた見せ方で筒も一から自分たちで作り上げイメージに沿った資材から作り上げるところは芸術家として一歩も譲らない姿勢が見られる。


大公フランチェスコ
大公フランチェスコが興味を抱いていたのは政治よりも花火の製造技術やガラス吹きなどで晩年には実験室で研究をしながら閣議を開いたほどである。

クラリーチェの結婚式
1469年、ピエーロ・デ・メディチの長男ロレンツォと16歳のローマの女子相続人クラリーチェ・オルシーニの結婚式が行なわれ花火や仮装パーティなどが行なわれ数ヶ月ものあいだフィレンツェは話題になった。

教皇ユリウス二世
1515年教皇レオ10世はローマから帰還。その後、教皇ユリウス二世として後継者に選任されると、フィレンツェでは熱狂と興奮が巻き起こり花火の打ち上げや祝砲が発射された。

ヴェルサイユ宮殿
1668年7月18日、5月2日にスペインとのあいだに結ばれたアーヘン講和条約による戦勝を記念して行なわれた祝典ではヴェルサイユ城館にイルミネーションがとり施され花火が打ち上げられた。

ナポレオン
ナポレオンは民衆の中に皇帝の神話を植えつけるために、8月15日の聖ナポレオンの祝日、12月2日の戴冠式の記念日やマリー・ルイーズとの結婚、ローマ王の誕生などには祝祭を行い名士を集めた宴会、屋外でのパフォーマンス、貧しい者たちへの施し、篝火による照明、花火などを打ち上げた。