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HANABI!! HANABI!!


サンパウロ
日本人が笠戸丸で初めて移民してから50年目にあたる1958年、サンパウロ市イビラピエラ公園で「日本人移民50年祭」が開かれ、併せて「日本まつり」と「日本貿易見本市」が行われ日本の花火が打ち上げられた。日本人街で木炭を購入し焼き金を使って早打ちを披露した。他にはランスを使って文字の仕掛けやイグアスの滝(銀滝)を用意、約1時間10分に1800発の玉とスターマインが8台、連射が350本である。

花火にカビ
1958年当時のブラジルは、いつクーデターが起きるかわからないので、飛躍の取り扱いは非常に厳しく、花火を船で運搬するのにドラム缶に詰めて密閉され、一か月半もかかり現地で花火師が受け取った時にはカビが生えていたため、即座に取り出して乾燥させるなど大変であった。ごとに異なり現在は複数の会社から既製品が販売されており花火師個人が作ることはなくなった。

シアヌーク国王
1955年(昭和30年)11月、プノンペンのロイヤルホテルにて、シアヌーク国王が夕食。30メートルほど離れた近くから日本のナイアガラ瀑布をご覧になった。

キャラバン
1965年、東アフリカ六カ国へ日本の花火を紹介する目的としてキャラバン隊に参加。改造バス一台に日本の花火を紹介した模型や写真などを飾り付けて、モザンピークのベイラ港からローデシアのソールスベリー、ケニアのナイロビ、ザンビアのルサカなどを廻った。

ルサカ
1968年10月、ザンンビアの首都ルサカにおいて独立記念日のお祝いに日本の花火を打ち上げた。街の中心の広場で仕掛花火と打ち上げを行った。


ベネズエラ
1967年2月、ベネズエラの首都カラカス市で「日本産業見本市」で日本の花火を打ち上げた。カラカス市が開かれてちょうど400年ということから「VIVA 400 CARACAS」の文字仕掛けにナイアガラ瀑布(銀 滝)、そして打ち上げ花火を約2000発ほど上げた。打ち上げ花火は仕掛け花火をセットした大広場の隣のベネズエラ中央大学構内にあるサッカースタジアムを利用。

マナグア
昭和43年、ニカラグアのマナグアで日本の商品見本市を開催、花火を打ち上げた。マナグア湖の湖畔の埋め立て地を利用しての打ち上げで、日本の花火の美しさに想像以上に盛り上がり、地元の新聞が三日間も立て続けに記事を書いた。

バンコク
1956年(昭和31年)12月、タイのバンコク・ルンビニ公園で開かれた国際見本市のオープニングのため日本の花火が打ち上げられた。

花火の留学生
カンボジアのシアヌーク国王が日本の花火を気に入り、是非とも花火の勉強に留学させたいと要請があり、自費留学生として日本の業者で受け入れることになった。留学生はカンボジアの陸軍士官であり、約二年間勉強をした。

海の週間
1973年7月8日、ギリシャ・ピレウス市での7月第一週の日曜に始まる「海の週間」の祭りで日本の花火を防波堤そばの小公園で打ち上げた。イタリアの花火は毎年見ているギリシャ人も日本の花火の美しさに町中の灯りを消して、鈴なりの人出だったそうで、翌日の新聞の一面に大々的に報道された。

要塞島
1960年、11月に巡航見本市船「桜丸」の展示会にデモンストレーションとして、シドニーの無人の要塞島より日本の花火を打ち上げた。



バルーチャン
1960年(昭和35年)ビルマのバルーチャンに大東亜戦争の賠償として発電所を日本が作り、送電開始の落成点灯式の日に日本の花火を打ち上げた。

シンガポール
1959年(昭和34年)、シンガポールの憲法が発効した祭りに日本の花火を打ち上げた。

南洋大学
昭和39年、シンガポール南洋大学の落成式に日本の花火を約30分間打ち上げた。

プノンペン
1955年(昭和30年)11月、カンボジアのプノンペンで国際博覧会が開かれ、カンボジア政府観光局からの依頼で日本の花火が打ち上げられた。フランスから独立して2年後のことである。打ち上げを始めて10分ぐらいしたところでストップを掛けられて中断。地方にいる軍隊が花火の爆発音にプノンペンが攻撃されていると勘違いをして進撃を始めた。様々なトラブルが他にも相次いだが無事に三日間続けて打ち上げることができた。

デリー
1961年(昭和36年)11月、国際見本市が開かれることになり、オープニングレセプションで日本の花火を打ち上げた。仕掛け花火を国立競技場のスタジアムに準備し、打ち上げは少しは慣れた田圃の側で行った。

ソールスベリー
1965年、白人社会であるローデシア(現・ジンバブエ)のソールスベリー(現・ハラレ)で日本の花火を見本として打ち上げた。

メルボルン
1960年、11月にメルボルンの公園にある池の中の島で日本の花火を打ち上げた。巡航見本市船「桜丸」の展示会のデモンストレーションであった。