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HANABI!! HANABI!!


秋葉社祭礼
愛知県知立市にある秋葉神社の祭礼で、「中町祭礼帳」 によると宝暦6年(1758)秋葉講より祭礼の余興を細工人衆に頼んだと書かれている。当初は人形浄瑠璃や福助踊り、切狂言や神楽、相撲などを五町が順番に 「年番」 を勤めた。当時の五町は中町・本町・西町・刈谷道・山町。 明治40年旧暦の8月24日の祭礼から手筒・打ち上げ花火が奉納されている。この年、中町では四寸五十玉の早打ち、その後大正14年(1925)には豪雨のために中止したが、それ以外の年は大正から昭和初年へと花火を奉納している。 昭和15年(1940) から20年までは戦争のため、余興中止や、空襲を警戒して紅葉花火などが続けられた。 戦後の祭礼は花火が主流になる。 年々盛大になってきている。 昭和50年、数年ぶりに打ち上げ花火が百数十発も夜空を彩る。 手筒花火の中には製品不良のものあり、 筒割れして暴発し、若衆に怪我人も出たこともあったが現在は業者から購入し奉納している。 祭りの当日、若衆たちは、早朝より湯浴みをして身体を清め、前後四人で長持ち唄を歌いながら花火箱を担いで町内を練り歩く。 奉納が終了すると青竹の杖をささらにして、花火箱をたたいて「伊勢音頭」の調子を取りながら帰る。


重原八剣社祭礼
愛知県知立市上重原町村上にある「八剣社」での祭礼では打ち上げ花火が奉納されていた。戦前までは自分たちで作っていたが、その後危険という理由から禁止され現在は花火は奉納されていない。

秋葉神社
愛知県知立市西町神田十二番地にある知立神社(池鯉鮒大明神)の末社で昭和36年国道155号線の開通により現在地に遷る。 宝暦4年(1754)五ケ町衆により金山(現逢妻町)に勧請され、享和3年(1803)、知立神社南の山林に移転、さらに下り現在のところへ。 祭神は火之夜芸速男神 ( ほのやぎはやおのかみ ) で古来から 「 火 」 の神として広く民間に信仰を得ていた。 火は一瞬にして住居を灰にしてしまう。 また 火がなければ暖を取ることも料理を作ることもできず大切にされてきた。 そして 火に強い秋葉神社への信仰が高まり竈のそばには秋葉神のお札を貼っていた。







桜連、自考流
愛知県知立市にある秋葉社の祭礼において花火を奉納する流派の一つで山町の氏子である。現在は火薬取締法の関係で製造はしていないが玉箱には名残として流派の名前が書かれている。

藤廣流
愛知県知立市にある秋葉社の祭礼において花火を奉納する流派の一つで中町の氏子である。現在は火薬取締法の関係で製造はしていないが玉箱には名残として流派の名前が書かれている。

逢妻連
愛知県知立市にある秋葉社の祭礼において花火を奉納する流派の一つで西町の氏子である。現在は火薬取締法の関係で製造はしていないが玉箱には名残として流派の名前が書かれている。.